「病蓐の幻想」(谷崎潤一郎)

谷崎は地震が大嫌いだった

「病蓐の幻想」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅦ」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅦ」中公文庫

神経衰弱に取り憑かれて
病床に伏している「彼」は、
虫歯も患い、
その激痛のあまり、
精神が変調を来す。
さらには
今晩大地震が起こるという
妄想にとりつかれ、
避難計画を練る。
地震の予兆である地鳴りが
「彼」の耳に聞こえはじめ…。

精神錯乱に陥った男の見た幻想
(妄想というべきか)を綴った
谷崎潤一郎の短篇です。
激しい歯痛から音響を聴き取ったり
色彩を感じたりする前半部は、
「彼」の精神の歪んだ状況の深刻さを
ユーモラスに表現しています。
続く後半は、「こんな日は
地震が揺るかも知れない」という
妻の一言から妄想を膨らましてしまう
「彼」の感じた恐怖を描き出しています。

面白いのは、
「彼」の持っている地震の知識です。
間違いだらけです。
「六十年目に大きな地震が
あると云う説の虚妄な事」。
地震が周期的に発生するのは
虚妄などではありません。
「大地震の際には必ず
前に異常な地鳴りを伴う事」。
そんなに都合良く
前もって地鳴りが聞こえるなら、
逃げ遅れる人間はいないでしょう。
「大地震の起る時刻は日中に少く、
大概夜間か拂暁である」。
そんなことはありません。
「大風の吹く日には、
大地震の起こった例のない事」。
それはたまたまでしょう。
そうした「知識」をもとに、
彼の妄想は膨らんでいくのです。

その妄想自体は滑稽なのですが、
「彼」の思案する避難計画は
極めて理路整然としています。
自宅が倒壊すると一階にある病室は
下敷きになる確率が高い、
二階は負荷の大きな部分から
先に崩落する、
それは病室の北の廊下の
位置であるから北側には近寄らない、
自宅は東西に細長いために
南北方向の揺れに弱い、
それ故に一旦西隣りの
六畳間へ逃げ込むべきである、
その後により安全な部屋へ逃げ込み、
さらに庭へと脱出する…。

さて、
その具体的な避難計画がまとまる直前、
「彼」の耳には
地鳴りが聞こえはじめるのです。
「あゝ、己は何という
 不運な人間だろう。
 もう少しと云う所で、
 とうとう地鳴りに
 追いつかれてしまった。」

「彼」の運命はいかに?
ぜひ読んで確かめてください。

今日のオススメ!

本作品が発表されたのは大正5年です。
実に関東大震災の7年前なのです。
ここに記された「彼」の妄想は、
実は作者・谷崎の
大地震に対する不安であり、
それは7年後に現実のものとなるのです。
「彼は地震が大嫌いであった」という
一節がありますが、
谷崎自身が大嫌いだったのでしょう
(好きな人などいませんが)。
関東大震災に遭遇した彼は、
すぐさま大阪へと居を移します。

「彼」の間違いだらけの地震の知見に、
一つだけ確かなものがありました。
「人間が不治の難病に罹る事は
 頗る希であるけれど、
 大地震はたしかに
 一遍はあるのである。」

その一遍に備えようという気にさせる
谷崎の逸品です。

〔「潤一郎ラビリンスⅦ」〕
病蓐の幻想
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人間が猿になった話
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